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【第114回】通運制度の歴史【前編】

徳川家康が制定した伝馬制度

先日、名鉄カルチャースクール名駅にて、私が講師を務める講座「キニナル!鉄道貨物」が開催されました。これまでにも何度か開催され、私が多治見通運元社員であることや通運についてもお話しをしてきたのですが、その歴史について深掘りをする機会がなかったので、今回は大きく取り上げました。このコラムでも、江戸時代から遡ってご紹介したいと思います。
通運の原点は、慶長6年(1601年)に徳川家康が制定した「伝馬制度」にあります。各宿場で人や馬を交代しながら荷物を運ぶこの仕組みは、まさに現代のコンテナリレーそのものです。
江戸中期には、商業の発展に合わせて「定飛脚問屋」が登場し、物流は点から線へと繋がっていきました。一人が走り抜けるのではなく、次々とバトンを継いでいく。この「継ぐ」輸送方法が、今もコンテナの輸送として活きていると考えると、ちょっとワクワクします。

明治の激動と陸運元会社の誕生

時代が明治へと移り変わる中、大きな転換点が訪れます。明治4年、近代郵便制度がスタート。これに危機感を感じた飛脚問屋たちが、バラバラでは生き残れないと団結して設立したのが「陸運元会社」です。
設立には、郵便制度を整備した前島密も関わったといわれています。近代郵便の父として、そして1円切手のデザインとしても知られる前島密は、日本の鉄道導入についても深く関わった人物でもあります。これからは、手紙(通信)は政府が主導するから、君たちは運送のプロとして荷物の輸送を行ってもらえないか?と、対立ではなく役割分担を提案し、陸運元会社が設立されるきっかけをつくりました。
これがのちの内国通運、そして現在の日本通運へと繋がっていくことになります。

「マル通」マークに込められた誇り

日本通運さんがつかう「マル通」マーク。実はこれ、明治以降に作られたものではなく、江戸時代から飛脚のリーダー(宰領)が掲げていた旗や、通行手形の焼き印がルーツとなっています。
明治8年に正式に採用されたこのマークは、いわば「物流のプロフェッショナル」であることの証。
旧東海道沿いにある京都・山科の徳林庵の手水鉢にもこのマークが刻まれていますが、それほどまでに「マル通」は地域社会に深く根付いていたことが分かります。